在宅死
□【問A】
1□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら家族に世話をさせたくないので、同じ体験をした在宅死遺族の会のメンバーに世話をしてほしいという人が多かった。
2□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら家族に世話をさせたくないので、ホスピスで死にたいという人が例外的にいた。
3□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら家族に世話をさせたくないので、自然死の会が契約しているケアハウスでボランティアに最期を看取られたいという人が例外的にいた。
4□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら玉地先生ほどの良心的な訪問医師が見つからなかった場合は、絶対に在宅死は選ばないという人も例外的にいた。
5□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら玉地先生ほどの良心的な訪問医師が見つからなかった場合は、ホスピスで自然死を迎えたいという人が例外的にいた。
6□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べており、介護経験をした家族の中に自分は病院で最期を看取られるだろうという人は1人もいなかった。
7□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら玉地先生のような良心的訪問医師が見つからない限り、在宅死遺族の会が運営するケアハウスで最期を迎えたいという人が例外的にいた。
8□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、それでも自分の番がきたら家族に世話をさせたくない、病院で死ぬだろうという人が例外的にいる。
9□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら全財産を処分し、玉地先生が運営する「ゆめクリニック分院」に入院して、地方に住んでいる家族を「分院」の付属宿泊施設に長期滞在させて世話をしてもらうという人が例外的にいた。
10□ほとんどの家族が在宅で身内を見取ってよかったと感想を述べているが、自分の番がきたら玉地先生のような良心的訪問医師が見つからない限り、玉地先生が創設した「ゆめクリニック分院」で最期を迎えたいという人が例外的にいた。
□【問B】
1□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。言い換えれば日常生活の中でその家族が抱えていた問題が全て白日のもとにさらされるので、家族間の対立を一挙に解決する効果的な融和手段ともいえる。介護家族は自分たちの利害関係を解決するためにがんばった結果として末期がんの身内を見送るというご褒美を手にするのである。
2□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。言い換えれば日常生活の中で不足していた家族間の会話が増え、死を意識する暇がないように、明るく楽しく患者の気分をそらすことができたということである。在宅死は告知をしないですませる最も効果的方法である。
3□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。言い換えれば日常生活の中で、ともすれば排除したり、無視したり、逃避しがちな死(へのプロセス)と身近に接することでかけがえのないものを学んだと回想している。
4□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、お金さえもっとあったら病院で治療したかった。お金がないから在宅治療するしかなかったという後悔の意見が多いことに気づく。
5□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、患者本人が希望したから退院したが、病院の医師から「入院治療がベスト、在宅治療はベターか治療の放棄(あきらめ)」と言われたことが真実だと多くの人が感じていることに気づく。
6□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、入院治療は3ヶ月が期限なので、この退院期限さえなかったなら病院で治療を続けたかったと多くの人が言っていることに気づく。
7□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、末期がんと判明すると、多くの病院が退院か転院を迫るので、たらいまわしがたいへんだから、やむを得ず在宅治療を選んだ。本当は1つの病院で治療を続けたかったと多くの人が言っていることに気づく。
8□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、在宅治療には限界があり、病院の方がいろいろな可能性を試すチャンスが多いので入院治療を続けるべきだったかもしれないとと多くの人が後悔していることに気づく。
9□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、在宅治療はたしかによいが、入院治療よりかえってお金がかかるのが問題だと多くの人が反省していることに気づく。
10□多くの家族が在宅死から生きること、一日の尊さ、家族愛などを再認識している。だが、各文の後半に掲載された家族後日感想文を読むと、患者本人が帰宅したいという希望だったので在宅治療を選んだが、家族の気持としては入院治療が最善だと思うと多くの人が言っていることに気づく。
□【問C】
1□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。しかし、一部の介護家族はご近所の人たちとざっくばらんに協力しあった結果、驚くことにヘルパーも親戚も必要としないで、立派に在宅治療を成し遂げたと感謝の報告をしている。
2□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。しかし、一部の介護家族は在宅でもヘルパーや訪問医師など公的サービスをたくさん使えば、入院治療よりも家族の手間は少ないくらいだと驚きと喜びの感想を述べている。「病院よりも家の方が安くて、手間いらず」という意外な発見を報告している。
3□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。しかし、高齢者を家で看護する際には、もともと高齢者は寝ていることが多い上、老人医療、介護保険などのサービスが公的に整備されているので、家族としては孫と遊ばせてあげることくらいで、面倒なことをしなくてすむという感想があった。
4□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。しかし、一部の介護家族の中には、末期がんで苦しむ身内が自分たちにとっては負担を強いられる厄介な存在ではなく、生きているだけで(死にゆく日々を共にするだけで)何にもかえられぬ大きなものを与え続けてくれる存在だったことに気づいた人々もいる。
5□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。しかし、若い末期がん患者の場合は、訪問医師に適切な治療コントロールをしてもらえば、死の2日〜3日前までお化粧をして本人は彼氏とデートに行ったり、買い物をしたりできるくらい手間がかからないから、若い人は在宅治療がベストだという人もいた。
6□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。たとえば、夫婦の一方を在宅看護する場合には、長年の夫婦関係がうまくいっていないケースもあり、夫を冷たく看護する妻が最近は増えている。
7□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。たとえば、女性患者の姉妹が交代で在宅看護する場合には、姉妹が自分たちの家族や育児の問題を抱えている上に、自分流の看護や意見を譲らないからかえって入院治療の方がよかったと失敗の反省をしている事例もあった。
8□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。たとえば、長男の嫁の立場で義理の父母(舅、姑)を看護する場合、嫁は全身全霊を傾けて看護する人と、責任放棄してしまう人に2分できる。前者は孤立してうつ病になる傾向があり、後者は夫の親類とトラブルが発生し、離婚する傾向があると筆者は総括している。
9□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。たとえば、夫婦の一方を在宅看護する場合には、長年の夫婦関係がうまくいっていないケースもあり、妻を冷たく看護する夫が最近は増えている。
10□在宅介護は家族に負担をかけることは事実だ。慣れない医療行為や経済的負担、過労などにより時には人間関係や患者への悪影響も招くことがある。たとえば、自立してキャリアウーマンとして働いている娘が実家の母親に在宅看護してもらう場合、母娘の間で生き方や価値観が衝突することが多く、取り返しのつかないところまでエスカレートして治療放棄まで発生する事例もあった。
□【問D】
1□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、看護家族が点滴の仕方などを覚えるために病院や経験のある看護師に実習指導を受けるよう地域の受付窓口を紹介することも忘れない。
2□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、死後の準備作業が多いので、預金のこと、墓のことなど、様々な問題を役所の福祉課や病院のソーシャルワーカーとあらかじめ相談しておくことを仕事を引き受けるときの条件にしている。
3□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、24時間連絡できるよう訪問医師の携帯電話番号などを看護家族に教えているが、患者本人から直接連絡が入らないように本人には電話番号を教えないことにしている。在宅看護は家族あってのことだからである。
4□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、管(パイプ)だらけで死ぬスパゲティー症候群に反対し、在宅でもモルヒネなどを上手に使えば自然な生活と尊厳が守れることを筆者(玉地医師)は主張している。
5□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、在宅死を経験した遺族たちのネットワークを活用し、24時間無料電話サービスで全国の患者や看護家族の問い合わせに応じるようにしている。
6□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。ただ、主治医に見離された患者に対しては玉地医師自身が主治医を兼務することで円滑な治療を確保している。
7□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、看護家族が病気について講習会やがん患者の会などに積極的に参加して勉強することを仕事を引き受けるときの条件にしている。
8□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、遠隔地の患者家族を引き受ける際には、患者家族の地元の開業医と電話やファックスなどで連絡を取り合い、必ず飛行機で週に1回は自ら訪問するようにしている。
9□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、管(パイプ)だらけで死ぬことが「尊厳なき死」だとは筆者(玉地医師)は考えていない。
10□訪問医療をする医師のほか、筆者(玉地医師)はもとの主治医や地元のヘルパーなどとの連携が必要だと考えている。また、患者や家族がいつでも連絡できるよう携帯電話の番号などを教えてある。さらに、「ゆめクリニック」の取り付け(取り外し)自由な掲示板を自家用車や契約タクシー(3台)に備えている。
□【問E】
1□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、時には重病の患者とパチンコに行くこともある。
2□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、ペットセラピーも取り入れて患者や看護家族に犬を貸し出すこともある。
3□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、時には重病の患者とプロレスの観戦に行くことがある。
4□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、カラーセラピーを応用して、落ち着いた色彩の居住空間を演出するためインテリアコーディネートもすることがある。
5□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、メンタルセラピーを応用して、室内に御香をたいたり、ハーブを植えた鉢を持参して患者とともにハーブティーを手作りで楽しむこともある。
6□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、時には重病の患者とホストクラブに行くことすらある。
7□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、時には重病の患者と海外旅行を楽しむことさえある。
8□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、男性の患者が望めばセックスボランティアも紹介することにしている。
9□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、「先生」とか「玉地さん」と呼ばせず、患者や家族から「お姉さん」とか「お母さん」と呼んでもらうことにしている。
10□筆者(玉地医師)は患者や家族と同じ視線で終末期医療に従事しているので、患者とは必ず一緒に入浴し、一緒に添い寝をすることを心がけている。
□【問F】
1□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。訪問医師と患者の間もよそよそしくせず、時には激論を交わすことも避けてはならない。
2□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。訪問医師は、わざと悪役を引き受け、患者と家族が一致団結して訪問医師への不満を言いやすくする演出も必要だ。
3□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。患者は家族に「すまない」という感情を持ちやすいので、時には家族が悪役になり患者を怒らせる演出も必要だ。
4□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。訪問医師も喜怒哀楽を隠さず表現することが大切だ。
5□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。患者は家族に「すまない」という感情を持ちやすいので、時には家族が訪問医師を悪者にすることで患者の自責感をそらす演出も必要だ。
6□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。そして何より患者自身がそうできるようにすることも必要だ。
7□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。訪問医師は、患者の家族に対する不満を上手に聞いてあげ、逆に家族の患者に対する不満を上手に聞いてあげる演出が不可欠だ。
8□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。筆者がもとの主治医との関係を続けるのは、あらかじめ主治医に悪役になってもらう了解を得た上で、患者や家族が病院への不満を話した場合に、一緒に病院を非難することで在宅介護のよさを再認識してもらうことが目的の一つだ。
9□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。ただし、話す相手は見極めるべきだ。ある介護家族は看護の愚痴や不満をご近所に話したばかりに、近所付き合いができなくなったことを後悔していると感想を述べている。
10□怒りや愚痴など社会常識からいえば否定的(好ましくない)感情を介護家族は押し殺さず、時には上手に発散させることも必要だ。特に介護家族が愚痴や不満を話せない場合には、訪問医師がその人の気持をくみとって、わざと患者の前で愚痴や不満を代弁してあげることが大切だと筆者は述べている。
□【問G】
1□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。なぜなら、筆者は告知こそ在宅治療の大前提と考えており、告知と説明を患者と家族が受けていない仕事は引き受けないことにしている。
2□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。しかし、筆者は告知と宣告を分けて考えており、後者には疑問を投げかけている。
3□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者は病気の告知や宣告だけではまだ不十分だと考えている。在宅医療よりすぐれた治療法が病院にもうなくなったという説明を必ず主治医からしてもらうことを仕事を引き受ける条件にしている。
4□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者は医師の側に立てば末期がんの状況を説明することに告知と宣告の違いはなく、患者や家族の個性によって医師の説明が「告知」と受け取られることもあれば、「宣告」と受け取られることもあると考えている。
5□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。告知にせよ宣告にせよ病気の正しい情報を医師は患者本人と家族に説明する義務があり、その前提で治療方法を本人に決めてもらうのが患者の立場に立つということと考えている。
6□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者は病気の現状を十分に患者が理解していない場合は、もう一度、病院で主治医から告知と説明を受けてからでないと訪問医療の仕事を引き受けないことにしている。
7□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者は長年の経験から在宅治療の場合は、告知がなされていない看護家族内では必ずトラブルが発生することを痛感しているので、未告知の家族には主治医にかわって筆者がわかりやすく告知することにしている。
8□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。中途半場な気休めを患者に伝えていると患者が家族の生活設計を間違える危険性があるので、どんな患者にも必ず真実は伝えるようにしているからだ。
9□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者はいかなる患者でも真実を知る権利があり、家族といえども患者の知る権利を奪ってはならないという信念を持っているからだ。
10□筆者(玉地医師)は、ある家族に「ご本人が病名を知りたがっているのに、隠して在宅医療をするのは無理がある」と説明したことがある。筆者は患者本人が病名を知りたがっているときには、どんなに手厚い在宅治療をしても無意味であることを体験しているからだ。
□【問H】
1□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。筆者(玉地医師)が勝手に「ゆめクリニック分院」と名づけた旅館もその一つである。
2□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。今では100組以上の遺族ネットワークが「ゆめクリニック互助会」を作り、全国で支部活動も開始している。
3□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。筆者が見取った患者の夫が私財を投げ打って市議会議員とともに作ってくれた増築分の「ゆめクリニック」は入院設備も備えている。
4□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。遺族会のメンバーは初めて在宅介護をする家族のために絵本で『みんな仲良くお家でグッドバイ!』を発行し好評を得ている。
5□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。遺族会がまとめたパンフレットや互助通信などさまざまな啓蒙資料が増えたが、一番喜ばれるのは体験から出た自作の励ましのことばを印刷した「はげましカレンダー」だという。
6□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。重症がん患者を世話する若い奥さんたちのために、遺族会は「ゆめクリニックお助け託児所」を運営している。
7□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。厚木市で弁当屋さんを開いているある遺族は、遺族会のメンバーと一緒に在宅治療をする人たちのために「夕ご飯ほかほか宅配サービス」をボランティアで始めた。
8□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。ゆめクリニックのある厚木市には「ゆめクリニック救急タクシーの会」があり、ヘルパー資格を持った運転手が24時間体制で緊急連絡に応じている。
9□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。見取った後に必要なくなった介護用機器や介護用品を無料で融通し合っているので、初めて在宅治療をする家族たちに喜ばれている。
10□在宅死の体験を持つ遺族同士が助け合いのネットワークを自然発生的に作りあげた。多くの遺族のノウハウをまとめ、身近な工夫や便利情報を『ゆめクリ便利帖』というマニュアル本にして、訪問ボランティアの際にプレゼントしている。
□【問I】
1□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、「できない」は禁句であり、「どんな道も必ずある」が終末医療従事者のモットーだと書いている。
2□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、その主治医は医師失格だと思った。
3□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、必ずしもその主治医は冷たかったと思わない。
4□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、その主治医の真意を今でも確かめたいと怒っている。
5□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、「もっとよい病院を紹介します」と言うべきだったと書いている。
6□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、一度「気晴らし」という名目で帰宅させ、その後は「ベッドがいっぱいになってしまった」などの差しさわりのない理由でやんわり断るべきだったと書いている。
7□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、それとなく「ホスピスもありますよ」と言って欲しかったと書いている。
8□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、「未承認薬の使用とか治療法はありますが、あまりに高額でお勧めしにくい」と間接的に暗示するだけでよかったと指摘している。
9□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、保険適用の漢方治療や免疫療法(丸山ワクチンなど)など様々な代替医療方法を説明し、そこから家族に選択させるべきだったと書いている。
10□入院先の主治医から「もう治療ができない」と言われ、ある家族は「見捨てられた」と感じて在宅介護に入ったという。これを聞いた筆者(玉地医師)は、「どんな病院でも3ヶ月以上は入院できない国の規定があるのです」と制度面から説明をすべきだったと書いている。
□【問J】
1□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、一定額の現金である。
2□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、家族同士の連絡網である。
3□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、救急指定病院である。
4□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、指定薬局である。
5□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、看護不能になった場合のホスピスである。
6□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、地元の開業医、運転のできる身近な人である。
7□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、往診(宅診)可能な医師、体力に自信のある身内である。
8□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、往診(宅診)可能な医師、運転のできる身近な人である。
9□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、往診(宅診)可能な医師、ご近所の理解(セーフティーネット)である。
10□在宅介護を望むある家族への筆者(玉地医師)の助言は3つ。24時間態勢の訪問看護ステーション、往診(宅診)可能な医師、時間が十分にとれる(暇な)身内である。