きけわだつみのこえ
□【問A】
1□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵の中には、軍国主義が否定した自由主義などの進歩思想を持ち、当時の日本の悪政を指摘しつつ特攻攻撃を辞退した者も多かった。
2□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵の中には、軍国主義が否定した自由主義などの進歩思想を持ち、当時の日本の悪政を指摘しつつ皮肉にも特攻隊などで命を失った者もいた。
3□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵の中には、軍国主義が否定した自由主義などの進歩思想を持ち、当時の日本の悪政を指摘しつつ上官を暗殺した者も少なくなかった。
4□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵の中には、軍国主義が否定した自由主義などの進歩思想を持ち、当時の日本の悪政を指摘しつつアメリカ軍に集団投降した者が多かった。
5□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵の中には、軍国主義が否定した自由主義などの進歩思想を持ち、当時の日本の悪政を指摘しつつレジスタンス集団を作って地下活動をする者が多くいた。
6□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵は、軍国主義を当時の現状としては受け入れざるを得ないと自分自身を言い聞かせ、軍隊内で最下級の二等兵(新兵)として全ての学徒兵は特攻隊を志願したがった。
7□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵は、軍国主義を当時の現状としては受け入れざるを得ないと自分自身を言い聞かせ、軍隊内で最下級の二等兵(新兵)として全ての学徒兵は戦場の最前線を志願して戦った。
8□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵は、軍国主義を当時の現状としては受け入れざるを得ないと自分自身を言い聞かせ、軍隊内で最下級の二等兵(新兵)として全ての学徒兵は厳しい制裁(リンチ)を受けた。
9□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵は、軍国主義を当時の現状としては受け入れざるを得ないと自分自身を言い聞かせ、軍隊内で最下級の二等兵(新兵)として全ての学徒兵は激戦地に送られたため戦死率が最も高かった。
10□第二次大戦中、大学生で召集された学徒出陣兵は、軍国主義を当時の現状としては受け入れざるを得ないと自分自身を言い聞かせ、軍隊内で最下級の二等兵(新兵)として全ての学徒兵は事務職に従事したので死亡率は低かった。
□【問B】
1□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、英語や科学技術を勉強できた海軍への志願が多く、英語教育が禁止されていた陸軍を志願する者は学徒兵全体の数パーセントにとどまった。
2□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、船上で読書の時間がとりやすい海軍にほとんどの人が志願したため、泳げない新人海軍将校も少なくなかった。
3□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、「幹候」(幹部候補生)受験勉強という名目で、当時は禁止されていた自由思想や共産思想の本を勉強することが黙認されていた。
4□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、船上で書類事務が多い海軍に入隊を希望する者が多く、彼らは「主計」と呼ばれて事務の合間に勉強することを許されていた。
5□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、1冊の本として公然と勉強できる「幹候」(幹部候補生)対策本(軍人勅諭などが収録された本)を愛読するものが多く、皮肉にも幹候受験者はほとんどいなかった。
6□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、1冊の本に、ある時は、薬の説明書や古新聞に異常なまでの愛着を持った者もいた。
7□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、1冊の本として公然と勉強できる軍人手帳を愛読する者が多く、当時は軍人勅諭などを皮肉ったギャグ集が軍隊内で流行した。
8□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、戦場では1冊の本もなかったため、軍人手帳の後ろに残された数ページの白い余白に手記を書く者が多く、それが『きけわだつみのこえ』に収録された。
9□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、1冊の本として公然と愛読が許可されたヒトラーの『わが闘争』が学徒兵の中では大流行し、ヒトラーをまねしたちょびひげをはやす者もいた。
10□学徒出陣兵の中には、学業半ばで軍隊生活を強いられたため、書物(活字)に飢え、1冊の本として公然と愛読が許可された『葉隠』(はがくれ)を愛読する者が多く、将校として軍刀所持が許可された学徒兵は、切腹の練習を毎朝していた。
□【問C】
1□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述が多く、当時の学徒兵は戦争をしていたというよりは、中国の一般市民に対する略奪暴行をしていたにすぎないことが赤裸々に物語られている。
2□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ないが、中国人が学徒兵たちに反感のまなざしを向ける姿などが記されている。これに対し、学徒兵たちは怒りの感情が全員にみなぎった。
3□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ないが、過酷な行軍など主に日本軍の内部事情が詳しく書かれている。これは、中国では交戦がほとんどなかった証拠である。
4□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少なく、戦争孤児になった中国少女を助けたり、落胆する中国庶民を同情する記述が多い。日本兵は中国でソ連兵のみと戦っていたからである。
5□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述が多く、大学生が戦場で人格が変わってしまうことに読者は驚く。手記に記された数人の学徒兵だけでも数百人の中国の一般市民を殺傷している。
6□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少なく、戦争孤児になった中国少女を助けたり、落胆する中国庶民を同情する記述が多い。日本兵は中国でアメリカ兵のみと戦っていたからである。
7□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ない。武器もない中国庶民と日本兵は戦ったわけではなく、乏しい食料や悪天候の中で中国各地に行軍しただけだからである。
8□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ないが、別の学徒出陣兵が伝え聞いた話として虐待の惨さを間接的に書き留めた者がいる。
9□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ない。日本兵は中国人と交戦したことはあったが、長い交戦期間を通じて散発的な戦闘しかなく、多くの中国庶民は日本兵を歓迎したからである。
10□『きけわだつみのこえ』に収録された中国参戦手記には、中国戦線で中国人に虐待を加えた具体的記述は少ない。日本兵は中国人と交戦したことはなく、奥地にひそむオランダ人ゲリラやイギリス人狙撃兵たちと交戦していただけだからである。
□【問D】
1□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。しかし、彼らの多くは未婚だったため、時には帰れぬ特攻隊員となってからも母親を恋しがる心情を吐露した者が少なくない。
2□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。そのため、過激な思想を持つ将校だけで2・26事件などの反乱を起こす者があとをたたなかった。
3□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。しかし、彼らの多くは自由主義者だったため職業軍人の命令を拒否して戦闘を行わない部隊がほとんどだった。
4□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。結婚すれば高額の将校手当てが支給されたので、入隊後ほとんど全員がお見合い結婚した。
5□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。そのため、学生時代に先輩から受けたいじめの仕返しのつもりで、部下をいじめる者が多かった。
6□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。そのため、幹候(幹部候補生)試験に合格して非戦闘職種に昇進することを競う傾向が強かった。
7□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。海軍はこれを「特典」と呼び、陸軍から優秀な人材をヘッドハンティングして大学ごとに部隊を編成したので学生に人気があった。
8□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。入隊してすぐに将校服で帰郷でき、結婚することが奨励されたので、女性にもてもてだったため、大学生は競って入隊を希望した。
9□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができたため、当時としては死亡率の高い海軍の「幹候(幹部候補)忌避」が国会でも問題となった。手記にも海軍幹候忌避が多い。
10□学徒出陣兵は当時は数の少なかった大学生であったため、将校に準ずるある意味では特権的待遇を受けることができた。外出すると若い女性がだぶだぶの陸軍将校服より白くてスマートな海軍将校服を好んだので、海軍入隊希望者が多かった。
□【問E】
1□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったため、日本軍はフィリピンを一度も占領できなかった。『きけわだつみのこえ』には手薄なオーストラリアを占領するために日本の輸送船に乗船した学徒兵の手記がある。
2□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったため、日本軍はフィリピンを一度も占領できなかった。『きけわだつみのこえ』には日本の輸送船がアメリカの潜水艦に撃沈されフィリピン占領に失敗した手記が多い。
3□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったが、日本軍が占領してからはマニラを中心に強固な軍事基地を構築したため、フィリピンの各島では終戦まで日本の将兵がほとんど犠牲者を出すことなく過ごすことができた。
4□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったが、日本軍が占領した後は、台湾とフィリピンの間に日本の潜水艦隊に守られた定期輸送船団が往復していた。アメリカ軍は制空権しか持たず、空爆しか攻撃手段がなかった。
5□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったため、日本軍はフィリピンを一度も占領できなかった。『きけわだつみのこえ』には日本の輸送船がアメリカの潜水艦に撃沈される魔の海域を詳しく述べた手記がある。
6□『きけわだつみのこえ』は大学生で兵士になった人の手記が収められており、外語大でタガログ語を勉強した大学生士官がフィリピンで大いに活躍し、マニラ湾の夕焼けを満喫していると母親に手紙を書いている者もいる。
7□フィリピンは第二次世界大戦前、実質的にはアメリカ植民地であったため、日本軍の占領はアメリカにとっては直接的侵略行為と受け止められた。『きけわだつみのこえ』には、学徒出陣兵がマニラで日本のラジオを聞く記述がある。
8□アメリカに比べ日本の生産力が貧弱であることを痛感しつつ、皮肉にも多くの餓死者を出したインドのインパール戦線で戦病死した人の手記が『きけわだつみのこえ』に収録されている。彼の手記にはイタリア軍連戦連勝の喜びがつづられている。
9□『きけわだつみのこえ』には、かわいい子供たちを教えた元教師が、猛獣的な闘争心に感情を切り替え、戦争に参加する決意を表明した手記も収録されており、この人はフィリピン沖で戦死した。
10□『きけわだつみのこえ』にはファシズムにおぼれてはいけない、日本が行っている戦争は勝算もなく、夢をみて戦っているのではないか?と鋭い批判精神を手記に残しながら、ミャンマー(ビルマ)から無事帰還した学徒兵の手記も収録されている。
□【問F】
1□『きけわだつみのこえ』は、占領軍(GHQ)の検閲を経て出版されたため、戦前の軍国主義礼賛的記述は少なく、当時としては例外的な体制批判や反戦的手記に重点が置かれている。
2□『きけわだつみのこえ』は、占領軍(GHQ)の検閲を経て出版されたため、戦前の軍国主義礼賛的記述を中心に歴史資料として編集された。
3□『きけわだつみのこえ』は、戦前は学士様と呼ばれた超エリートインテリ層である大学生が書き残した手記なので、編集にあたって何も取捨選択していないのに、ほとんどの手記が人間性を感じさせる。
4□『きけわだつみのこえ』は、占領軍(GHQ)の検閲を経て出版されたため、戦前の軍国主義礼賛的記述を削除し、アメリカや中国を礼賛する手記を中心に編集された。
5□『きけわだつみのこえ』は、朝鮮戦争の勃発に危機感を持ったアメリカのマッカーサーの指示によって遺族が戦没学生記念会を組織して編集した。
6□『きけわだつみのこえ』は、占領軍(GHQ)の検閲を経て出版されたため、戦前の軍国主義礼賛的記述も、当時としては例外的な体制批判や反戦的手記も手を加えずに全て収録している。
7□『きけわだつみのこえ』は、戦没東大生の手記を中心にまとめたので、編集にあたって何も取捨選択していないのに、ほとんどの手記が戦前の軍国主義礼賛的記述は少なくなっている。
8□『きけわだつみのこえ』は、戦前は学士様と呼ばれた超エリートインテリ層である大学生が書き残した手記なので、編集にあたって何も取捨選択していないのに、ほとんどの手記が反戦的内容になっている。
9□『きけわだつみのこえ』は、戦前は学士様と呼ばれた超エリートインテリ層である大学生が書き残した手記なので、編集にあたって何も取捨選択していないのに、ほとんどの手記が理屈っぽい。
10□『きけわだつみのこえ』は、戦前は学士様と呼ばれた超エリートインテリ層である大学生が書き残した手記なので、戦中の庶民感情とは全く無縁の内容が多い点に留意すべきだと編集者は注意している。
□【問G】
1□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは、戦中の矛盾は経済成長とともに徐々に克服されたと考えている。
2□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは戦中の矛盾は解決したので、この本は慰霊記念と考えていた。
3□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは、戦中の矛盾は終戦と同時に克服されたという認識を持っている。
4□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは戦中の矛盾は解決したので、この本は図書館保存用に作った。
5□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。編集者はこの本の内容は現在は意味を失ったので、誤った思想資料として内部出版した。
6□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは、戦中の矛盾はGHQの占領期間中に解決したと考えている。
7□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。編集者はこの本の内容は現在は反戦平和の意味を失ったので、絶版にしていた。
8□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。この本の編纂にかかわった人たちは、戦中の矛盾が今もって克服されていないという認識を持っている。
9□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。編集者はこの本の内容は現在は重苦しいので、もっと明るい手記と入れ替えた方がよいと考えている。
10□戦争を許した国民性の責任をも指摘した手記が残されており、『きけわだつみのこえ』は平和主義の実践という今日的課題をも投げかけている。編集者はこの本の内容は現在は軍国主義に再利用されるので絶版にした方がよいと考えている。
□【問H】
1□戦中の日本軍は虐待で有名だった。特に軍馬などの動物に対する虐待はひどく、どこの戦場でも軍用馬が食用にされてしまうので、軍は動物愛護運動を繰り広げたが効果はなかった。
2□戦中の軍隊では、同じ大学出身者を全て「戦友」と呼んだ。戦後も大学ごとに戦友会が組織され、会社の中でも学閥という形で長く「戦友」のコネが幅を利かした。
3□戦中の日本軍は虐待で有名だった。特に軍用馬の世話をする兵隊は過酷なノルマを課せられた。馬にトラブルがあれば、それこそ馬以下の扱いや虐待を担当兵士は上官から受けたので、腹いせに担当兵が馬を虐待する悪循環が多かった。
4□戦中の軍隊では、同じ所属の兵士全員が「戦友」であった。しかし、所属が違うと派閥抗争が激しくなり、時には「戦友」同士で殺しあうという仲間割れが発生することすらあった。
5□戦中の日本軍は虐待で有名だった。馬と将校の世話をする兵士は特別待遇を受けていたので、捕虜になると同じ一般の日本兵から虐待を受ける運命が待ち受けていた。
6□戦中の軍隊には制度としての「戦友」があった。古年兵の世話を初年兵がする制度である。この戦友制度は当時の日本の軍隊生活を象徴しており、初年兵が庇護されるか制裁を受けるかは組み合わせの偶然に委ねられていた。
7□戦中の軍隊には「男をみがく」という制度があった。中国や南方の占領地域で、現地の罪の無い人々を虐待したり、暴行することを指し、学徒出陣した兵士は必ず一度は男をみがくことが義務付けられていた。
8□戦中の軍隊には青少年の育成を目的とするボーイスカウトのような組織があった。ドイツのヒットラーユーゲントを模倣したもので、海軍ではこれを「海兵団」と呼んで水泳やボート競技を定期的に教育していた。
9□戦中の軍隊には「男をみがく」という制度があった。陸軍や海軍の部隊内で、上官や同期兵たちによって組織された集団リンチ(虐待)に一人で耐えるという制度だった。大学在籍中に召集された学徒兵の中には虐待に耐えられず自殺する者もいた。
10□戦中の軍隊には「男をみがく」という制度があった。休暇の際に、国内なら売春宿で、国外なら慰安婦たちと、必ず性交渉を体験しなければならないという制度で、既婚者には不評だった。
□【問I】
1□特攻攻撃の直前ですら、自分は国のためや軍隊のためではなく、残された家族や恋人のために死ぬのだと手記に書き残している者が多い。自由主義のために死ぬという人すらいる。これらの手記は特攻隊員の特例として軍は検閲しなかったものだ。
2□特攻攻撃の直前ですら、『聖書』や『般若心経』を軍服の中に隠し持ち、戦争は罪悪であり、自分は戦争には反対であると手記に残した者が3人も『きけわだつみのこえ』に収録されている。
3□特攻攻撃の直前ですら、死ぬような気がしない、旅行に行くような軽い気分だと手記を残す者が一人ならずいたことも事実だ。
4□特攻隊員は必ず遺書を家族に送り届けてもらえたが、検閲があるので、型通りの父母への感謝や勇ましい決意以外は心情を書けなかった。不思議なことに陸軍特攻隊員は自由に本心を書かせてもらえた。
5□特攻隊員は必ず遺書を家族に送り届けてもらえたが、検閲があるので、型通りの父母への感謝や勇ましい決意以外は心情を書けなかった。ただ、学徒出陣隊員だけは自由に本心を書かせてもらえた。
6□回天という魚雷を改良した特別攻撃部隊があり、『きけわだつみのこえ』には回天の訓練中に死亡した仲間をいたむ手記が残されている。狭い船中で死んだ仲間のポケットには共に遊んだトランプが入っていた。
7□流星という最新鋭機で特攻訓練をしていた学徒兵は愛読書の『哲学通論』(田辺元著)の余白にびっしりと上官たちの無能を批判する書き込みを残していた。
8□特攻隊員は必ず遺書を家族に送り届けてもらえたが、検閲があるので、型通りの父母への感謝や勇ましい決意以外は心情を書けなかった。不思議なことに海軍特攻隊員は自由に本心を書かせてもらえた。
9□愛読書の『クロォチェ』(羽仁五郎著)を出撃の前日に恋人に渡し、自分の恋心を告白した学徒兵がいる。恋人が結婚同意の返事を伝えに面会に行った翌日には、彼は沖縄でアメリカ軍に特攻攻撃を行って死んでいた。
10□「これだけあれば病気はなおる」と食べ物を画面いっぱいに描いた学徒兵は、厳しいシベリア抑留生活の中で餓死してしまった。
□【問J】
1□関口清は手記に残している「兵隊とは、光栄ある囚人の世界に過ぎない」と。
2□『新版きけわだつみのこえ』の第1部「日中戦争期」と第2部「アジア・太平洋戦争期」は、ページ数が物語る通り、アメリカとの間で繰り広げられた太平洋戦争が参加人員も多く、交戦期間も最も長かった。
3□西村健二は手記に残している「いいと思っていた戦友も、いよいよ本性を現して来ました。1日に2回くらいの割合でなぐられています。兵営内には1人として人間らしい者はいません」と。
4□『新版きけわだつみのこえ』の第1部「日中戦争期」と第2部「アジア・太平洋戦争期」は、ページ数から見ると第2部が圧倒的に多いが、戦争期間からいえば逆の関係にある。
5□理想主義者として恋人への純潔を守りぬいた林憲正は手記に残している「帝国海軍のためには少なくとも戦争しない。私が生きそして死ぬとすれば、それは祖国のためであり更に極限するならば私自身のプライドのためである」と。
6□大島欣二は手記に残している「まるでこの世の中は終わらない音楽をかなでているようなものだ。死が到る所におどり、楽章は血だらけになっている」と。
7□ヒューマニズムを主張した佐々木八郎は「つまらない理屈をつけて、自分にきまった道から逃げかくれする事は卑怯(ひきょう)である」といい、人間らしく生きることを断念した。
8□木村久夫は手記に残している「私は今更、私の気持がどうであるなど記すまい。私はただただお母さんに会いたい。早く、早く」と。
9□「よろこんで死んでゆける。死すなわち生である」といって平和のために戦うのが目標だと手記に残した松岡欣平は、「生きることが死ぬことであり、死ぬことが生きることである」といった中村徳郎と同じ場所で戦死した。
10□住吉胡之吉は手記に残している「母チャン、母チャンが私にこうせよと言われたことに反対して、とうとうここまで来てしまいました。私として希望どおりでうれしいと思いたいのですが、母チャンのいわれるようにした方がよかったかなあと思います」と。